2021-09-03 西陽の入る部屋、『セラフィーヌの庭』
西の部屋があかがね色に燃え立つ。風があればそれはゆらゆらとなびいているし、静かならば、まっすぐに目を射る。
太陽の色がそのまま壁に落ちているから、その中に手を差し入れて、染まるのを見る。
ランプならば光源に近づくほど影は大きくなって壁を覆うけれど、太陽は遠いから、壁から離れても手の影はぼやけるだけで大きさが変わらない。
もしも太陽に近づいたものほど影を大きく落とすのであれば大変だ。鳥が飛んでも猫がしっぽを振っても、そのたびに世界は闇に振り回されることになる。
フランスの映画の紹介画面やポスターは、その面白さが読み取れないようなところがある。私が日本のものに慣れているせいだ。そのなかでもこれは良いもののような気がするな、とはじめのところをつまみ見て、俳優のたたずまいや景色をカメラが追うやりかたを好きだと思った。
セラフィーヌ・ルイ(Séraphine Louis )は住み込み家政婦として働く貧しい女性だが、絵を描くことに特別な情熱を持っている。白以外の色は自然にあるものから独自の方法でつくる。画商のヴィルヘルム・ウーデ(ルソーなど素朴派の画家を見出したことで知られる)に評価されパリでの展覧会の話が持ち上がるが、戦争や不況の影響もあり彼女が生きているうちにそれがかなうことはなかった。 セラフィーヌは森やせせらぎを歩くことが好きだ。貧しくて絵の具が買えなかったから身の回りのもの(豚の血や川底の発酵した草、教会のロウソクなど)から色をとったと説明されているが、きっとその色をそのまま画面に使いたかったんだと思う。
セラフィーヌの描く花は燃えて、動いている。太陽がじかに焼き付けたような熱、こちらを射るようにくらやみから見つめる獣、けれど同時に真昼の夢のようなほがらかさもある。
ものをつくるというのは、どうにも消せない衝動にかられる行為だというふうに思う。息をするのも忘れて、この続きを目の前に出現させたい。むせ返り湧き上がるもののなかから選り分けて、この場にけずり出したい。
描くだけではなくて、見せるということにも大きな意味を感じていることが印象的だった。近所の、彼女に好意的でないひとまで家に呼んで、ろうそくをたくさん灯して、その絵に出会わせるようなかたちでお披露目している時の表情が忘れられない。
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一部をフランス語にしてみた。